ドウタクくん

ドウタクくんのご紹介

野洲市の観光マスコットキャラ「ドウタクくん」

  • 誕生日

    1988年11月1日

  • 出身地

    滋賀県野洲市

  • 性格

    好奇心旺盛で、子ども好き

  • 好きな食べ物

    琵琶湖特産の湖魚料理、近江富士でとれる松茸、たでうどんとたでスイーツ

  • 好きな言葉

    おいで野洲

  • 特技

    ダンス

  • 功績

    ゆるキャラカップIN鳥取砂丘2011・2013 総合優勝

  • おもな出演番組

    さんまのまんま・NHK:MUSIC JAPAN・日テレ:MUSIC DRAGON・BBC 他多数

みなさんよろしくね!

銅鐸について

銅鐸の大きさは、高さ10数cmから134.7cm(野洲市出土で日本一)まであります。
初めは、鳴物として役割が重視された「聞く銅鐸」であったものが、のちには、美しく立派に飾られた「見る銅鐸」に変質していきました。
銅鐸を鳴らすのにもっともふさわしいのは、お祭の場です。
弥生時代のお祭として一番大切なのは、稲作・豊作を祈る、収穫を感謝するなどのお祭でした。金属の色・艶・輝き・音色に初めて接する人々にとって銅鐸は、お祭の場の荘厳な雰囲気を盛り立てるのに絶好のベルとなり、その音は神の声とも聞こえたものと思われます。

銅鐸発見物語

明治14年(1881年)8月20日土曜日の午後、地元に住む辻町村の小野田金太郎さん(当時14歳)と森岩松さん(当時16歳)の2人が山遊びに出かけました。午後3時ごろ、尾根の東斜面にさしかかったとき、木の葉がキラッと光ったように見えたそうです。
「なにかな?」とさっそく近づき、持っていた竹の棒でその場を掘ってみました。するとなんと緑色をした銅器が出てきたのです。それをなんとか引き抜くと、まだ中に大きな銅器が埋まっています。2つ目を掘り出すとさらに大きな銅器が見えます。2人は苦労して3つを掘り出しましたが、まだ、奥にはいくつかありそうです。しかし、周囲も薄暗くなってきたため、とりあえず3つを抱えて持ち帰り役場へ届けました。
翌日、村では朝早くからこの話しでもちきりです。そこへちょうど土取りに出かけるところだった井狩米吉さん、冨田仙吉さん、櫻田八治郎さん、高橋半治郎さんの4人がこの話しを聞き、大岩山にまだ埋まっている銅器を探しに出かけました。しばらく山の斜面を登っていくと2人の少年が言うとおり穴があり、この穴から次々に銅器が出てきました。そして、昨年見つけた3つを合わせて、なんと14個もの銅器が埋まっていたのです。これらの銅器は唐金古器物として大八車に積まれ草津警察署に運ばれました。また、戸長(区長)と地主発見者が詳しく発見のいきさつを書いた文書を作り、届けたのです。

唐金古器物とはもちろん銅鐸のことですが、当時は専門家以外の大半の人々は銅鐸という名前を知る由もありませんでした。そしてこのことが後に銅鐸の散逸を招いてしまいます。
警察に届けられた銅鐸はその後、農商務省博物局の帝室博物館(現在の東京国立博物館)へ運ばれ、重さや高さなどの記録がとられました。そして、この中の一番大きい高さ134.7cm重さ45.47kgの銅鐸と、ただひとつ水鳥の絵が鋳込まれた物の2個だけが博物館に買い取られ、残る12個は明治16年に地元の発見者と土地所有者に払い下げられました。しかし、不幸にもそれから数十年のうちに、大半の銅鐸が手放されることになり、行方がわからなくなってしまったのです。
しかし、大正から昭和の時代にかけて、京都大学の梅原末治さんがすべての銅鐸を発見当時の記録をもとに詳しく調べ、ようやく7個の所在をつき止めました。
戦後になって、佐原眞さんが付着した砂や錆(緑青)、土の状態、博物館の記録などを手がかりに調査し、さらに3個の銅鐸を確認しました。これらの銅鐸の中には海外に流出し、ドイツやアメリカ合衆国の博物館に所蔵されているものもありました。しかし、今もなお2個の行方はわかりません。
昭和37年(1962年)、東海道新幹線建設のため、土砂の採掘現場となった大岩山から、再び10個の銅鐸が発見されました。 7月20日の金曜日、午後4時ごろパワーショベルで土砂採りの作業中、作業員がふと周囲を見渡すと銅鐸が点在していたといわれています。この日に6個もの銅鐸を発見したのですが、不幸にも彼はこれが銅鐸だとは気づきませんでした。作業員はこれを銅のようだから売れるかもしれないと思い、近江八幡市の古物店に持ち込みました。店主は6個を約4,800円で買いました。そこに、付近を巡回中だった近江八幡市警察署の西村巡査部長が店頭にある銅鐸に気づきました。銅鐸にはまだ多量の土が付いたままで、土の中にあったものであることは明らかです。銅鐸と断言できなかった巡査部長は、店主にこれらを置いておくように言って警察署に報告しました。警察でもすぐに銅鐸だとはわからなかったようです。そして滋賀県から京都大学教授の梅原末治さんに連絡が入りました。
翌日、現地でもう3個発見され、さらに、6月21日にも丘の山頂付近から1個の銅鐸が見つかっていたことがわかり、銅鐸は合計10個となりました。
このできごとは、滋賀県で初めて文化財専門職員となった水野正好さんが、新幹線建設のために別の現場で遺跡調査を行っていた矢先のことでした。
現地では、さらに測量をはじめとする緊急調査が行われ、自衛隊に依頼し金属探知器で探査などを行いました。そして、銅鐸の破損部分10点余りを採集。昭和の銅鐸は水野さんの尽力と関係者の同意を得て、滋賀県が所蔵することになり、昭和61年(1986年)に一括して国指定の重要文化財にも指定されました。

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